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於:大阪府「グランキューブ大阪」 当番団体(社)大阪珠算協会 《そろばんフォーラム》 『目指そう! 教育・社会活動の中で役立つそろばん』 ********************************** 第二部 パネルトーク
テーマ 『進化する珠算界の現状とこれから』
記録・文責 副会長 森友 建 **********************************
森友 今日は素晴らしい眺めの会場で東西珠算懇談会を開催できまして喜んでおります。午前中雨を心配しましたが、見事に雲が高くなって参りました。先生方の右前方に六甲の山並がご覧いただけると思います。 先ず、本日のシンポジウムの趣旨と論点を皆さん方にご案内いたしまして、その後パネリストの5名の先生方を個々にご紹介させて頂きます.
過去約450年間、私たちは珠算の恩恵を大きく受けながら、経済・教育・社会活動を順調に発展させて参りました。しかし、20世紀後半からの機械文明の急激な進展と、30年ほど前から顕著になってきましたコンピュータ多用の社会システムへの変貌の中で、社会生活と教育の中で占める私たちの珠算の役割と評価というのは年とともに低下する傾向を示していると言うことは一つの否めない事実であろうと思います。 一方、コンピュータを中心とする機械文明の浸透と高まりの中で、その弊害そして副作用、いわゆるテクノストレスというものが徐々に高まり大きくなりつつあります。また、昨年4月から実施されております小学校での新しい学習指導要領に対しましては、さまざまな懸念と批判の声がございます。目的とされております「ゆとり教育の実現」は危ぶまれているという現状であります。そして、その最も大きな問題点は、学力の低下であると言われております。 これら電脳文明のサイドエフェクトいわゆる副作用を中和・解消し、現代教育の抱える最大の課題である学力の低下をいかにリカバーするかは、現代社会に生きる私たちに解決を迫る難しい宿題であります。 今一度、珠算の持つ教育的効果と人間の基礎・基本を形作ると言うそろばんの持つ特性を生かして、学習の基礎力確保と強化に貢献し、ひいては学力の向上に役立つことを改めて目指してみたいと考えています。 そのために、珠算の社会・教育の中での必要性とその有効性を先ず明らかにし、次いで珠算の果たしうる役割を分かりやすく世論に説明し説得していくことが肝要であると思っています。そのことが珠算の認知度を高め、評価を確固たるものにしていくに違いないからであります。今日は、以上の趣旨・論点を踏まえてパネリストの先生方と議論を展開し、珠算人の今後の活動方向を先生方が見定める一助にしたいと考えています。
続いて、先生方のご紹介をして参りたいと思います。一番端に座って頂きました上野健爾先生でございます。京都大学理学研究科教授であり同時に日本数学協会の会長をお務めであります。『学力が危ない』『誰が数学嫌いにしたのか』等のご本を最近お出しになりました。たくさんの著作がありまして、また多くの場で日本の教育について貴重な発言を重ねてきておられます。 日本の学生の学力低下と教育システムについて心からの不安と懸念を声高に説いておられます。殊に現行の学習指導要領についてはNAEE2002の活動を展開され、文部行政に即時現行指導要領の中止を求め、強く警告し、社会の木鐸としてご活躍であります。先生、よろしくお願いします。
お隣は、織井道雄先生であります。東京都渋谷区立大向小学校長をお務めになられました後前全国連合小学校長会事務局長でございました。今、約24,000名の小学校の校長先生がおられますが、その人たちを束ねる校長会の要といたしまして大きな実績を残されました。小学校教育の内実と課題について熟知されている先生であります。また、珠算界とはここ2年交流を深めて頂きまして珠算教育をよく理解されておられる先生であります。織井先生よろしくお願いします。
続きまして、お隣の大阪府立大学名誉教授林壽郎先生でございます。皆さん方よくご存知の通り大脳生理学のエキスパートであります。20年ほどまえから珠算界に対する提言・助言・指導を積極的に行ってこられました。珠算のルネッサンスを考える今珠算界が頼りにする大事な先生のお一人であります。よろしくお願いします。
そのお隣は、稲田行彦先生であります。広告会社(株)新通の営業第四部部長をお務めであります。珠算界が世論・社会に対する珠算に関する説明・解説をいかに有効に行うかを考える時に、常に適確なアドバイスをしてこられました。パブリシティエージェントとして珠算界にエールを送り続けておられる気鋭のパネリストであります。どうぞよろしくお願いします。
最後五番目のご存知田村一夫先生であります。日本珠算連盟の筆頭副会長をお務めであります。珠算界の近代化を計るための改革に参画され、能力検定試験のシステム改訂、そして組織の改革を推進してこられました。また、他団体との事業合同にも積極的に取り組んでおられます。正に珠算界の第一人者であります。よろしくお願いいたします。
それでは本論に入らせていただきます。 先ず、現状の分析を行ってまいります。今日は珠算を考える会でありますので、珠算を考える場合に明らかにしておくべきバックグラウンドというものがあろうかと思います。まず、そのバックグラウンドを明らかにしておきたいと思います。その後これからの望ましい珠算教育とはどのような姿であろうかということを明らかにし、その後世論の理解と協力を得るためにはどうすべきかと言う形で進めてまいります。先ず始めに上野先生にお伺いいたします。先ほど少し触れましたように、新学習指導要領が目下実施に移されておりますが、この新しい指導要領の問題点につきましてコメントして頂きたいと思います。
上野 私はそろばんが出来ませんのでこの席にいるのが申し訳ない気持ちでおりますが、逆に私のようなそろばんが出来ない小学生がどんなふうにそろばんを考えていたかということから何かヒントを掴んでいただけるかなと考えて参加させて頂きました。 昨年から施行されております学習指導要領の問題からということでありますが、このことに関しては大野先生と詳しい分析をしまして岩波新書の『学力があぶない』のなかに書きましたので、具体的なことはそちらの方を見ていただきたいと思います。基本的に言いますと、先ほども話がありましたが、21世紀の科学技術文明が高度に進んでいる中で、そういう社会で育っていく子供たちに対してどのような教育をしなければならないのかと言うことを、私たち大人が真っ先に考えないといけないのですが、そういう視点を全く欠いた学習指導要領である。10年毎にただ形式的に改革してきた。それが一番大きな問題点だと考えています。 今回は、ゆとり教育をうたっていますが実際は現場にはゆとりはない。内容は3割削減し、時間は2割ほど教科の時間を減らした。だから余裕が出た筈だと言う言わば形式論理で全てが進んでおりました。実態は何であるかと言いますと、難しい内容が全部消されてしまったということなんです。難しい内容がなくなったから皆が100%理解できると言う文部科学省の一時期の説明でしたが、実際私たちが学習する場合を考えてみると難しいことがあるから挑戦してみよう、考えてみることによって初めて易しいことが実は分かるんです。その観点がすっかり抜けています。ですから、学ぶのに面白い所が殆ど全て無くなってしまっています。それにもかかわらず文部科学省は基礎基本の徹底が大事だと言って一生懸命ドリルをやれといったことを現場にやらせている訳です。内容が非常に程度の低い内容で、毎日毎日繰り返し学習したらどうなるかというのは皆さんお分かりと思いますが、ますます勉強嫌いを実は増やすだけの学習指導要領になっていると思います。
具体的に珠算と関係する算数の部分で言いますと、掛け算では3桁掛ける1桁と、2桁掛ける2桁しかやりません。2桁掛ける2桁を計算してもう1けた増やして3桁になると計算ができない。小数の計算では、小数点以下1位の小数の計算しかやりません。ですから円周率が3.14だと確かに書いてありますが3.14を使った計算は出来ないのです。結局、何が起こるかと言いますと、例えば、パーセントの計算が出来ないのです。75%はいくつになるかという計算は出来ない。25%の計算も出来ない。実際は4で割ればいいということが分からなくなる。そういう学習指導要領が今行われています。ですからこのままいきますと今の小学生は本当に数の概念が身につかないまま中学校に行き高校に行き社会に行きます。そうした時に何が起こるかと言うことは殆ど想像がつくと思います。大きな事故が続発する恐ろしい危険性がある。数値感覚が全く育ってないわけですから、何か事故が起こった時にそれに対応出来なくなってしまう。そういう意味での問題点があります。 世界の教育改革を見てみますと、アメリカにしてもイギリス・ドイツもそうなんですが、全ての国民の教育のレベルをアップするということを至上命令としてやっております。日本だけは、その教育改革の流れに逆行する一部のエリートだけが育てばいいという形の教育をやっております。 私は実際に京都大学の理学部の学生を見ております。京都大学の理学部と言うと日本で最も独創的な学者を育てるところだと言われ、私たちもそれなりに自信を持って教育をやってきました。しかし、現実に入ってくる大学生というのは、能力的には少しも劣っていないのですが、残念ながら独創性を発揮する一番基本の部分の教育が全く出来ずに入ってきます。それを大学4年間で取り返すことは殆ど不可能な状況であります。それが今の日本の教育の現状だと思います。ですから決してエリートも育っていません。
森友 空恐ろしいお話になりましたがまた後ほどこの事に重ねてお話し頂けると思います。今の問題に続く話になりますが、教育界の課題と言うことを考えてみたいと思います。今、蓄積を要するトレーニングが決定的に不足しているのではないか、或いは課題を発見するのが今の子供たちは苦手なのではないかなど沢山のことが、各方面から課題として指摘されている訳です。織井先生に伺いたいのですが、先生は最近まで小学校長会の事務局長をされておられましたので、コメントを出しにくいお立場かなと思いますが、この教育界の課題をどんな風に捉えておられますか。
織井 実は、平成5年から学校週5日制が月一回という形でスタートし9年の経緯を経て14年から完全学校5日制が始まったわけであります。ご存知のように、労働基準法で週40時間の労働ということで、小学校では担任が40時間の労働をするために土曜日まで授業することが労基法の方からも困難ということもあって、また家庭教育を充実させるということも加わって5日制に踏み切ったようであります。 上野先生が言われたように時間的な余裕が無くなってきております。なのに学校に対するさまざまな期待があります。今起こっている社会問題の殆どを、問題は学校教育にあるということで小中学校に課題が押し付けられてきます。最近でも、いろいろこういうことをやっておられますかと言う中に、明治に小学校が出来て以降の定期健康診断と予防注射があります。この予防注射を学校に持ち込んだことで多くの伝染病を駆除できたということは可能だと思います。今は、学校教育の中で人権教育だとか国際理解教育とか環境教育・性教育・男女平等教育・消費者教育・納税教育・エネルギー教育・福祉ボランティア教育・エイズ教育・薬物乱用防止教育などをやれという。大阪の高等学校では道頓堀川に飛び込み防止教育をやらないといけないなどと言った沢山の課題を常に押し付けられているということが一つの課題であります。 時間数が足りないと言うことになると、学校で教える基礎基本とは何だ、学校は何を教える所なのかもう一度改めて考えようというのがここ数年、特にここ一・二年の小中学校の課題であります。当然のことながら、個性を重視し、一人一人を大事にする中で学校教育の中での基礎・基本て何なんだということになりますと、学力を如何に高めるかという所に戻るのではないか。その学力の中でいわゆる読み書きそろばんと言われるような基礎学力も大事なんですが、人間として行動する意思力、根気、粘り強さなどの力を如何につけるかと言う所に課題の中心があろうかと思っています。
森友 上野先生、先ほどのお話の続きになるのですが、先生のお出しいただきましたレポートの中で、学ぶ楽しみ、そして考える楽しみを味わうことが出来る教育の再生を望むと書いていただきましたが、教育界の課題について触れていただけますか。
上野 先ほどは厳しい現状をお話ししましたが、教育のいろんな意味での問題点というのは、結局私たちの日本の社会の問題点が教育に現れているだけであって、決して教育だけの問題ではないと思います。何が一番大きな問題かと言えば、はっきり言って日本の社会に志がないことだと思います。よく講演の終わりのところで、先生方から何が日本の教育で欠けているのですかと尋ねられますが、日本の教育から志が無くなっていると言いますと納得されます。じゃ何をと言うことになると千差万別の価値観が出てくるのです。私自身今の社会を眺めて感じることは、21世紀という世紀は人類の存続それ自体が問われる時代になりつつあると思います。人間の活動がいろんな意味で私たちの地球の環境に大きな影響を与える時代になっているということを考えると、そういう全く解答がない社会に対して立ち向かうことが出来る大人を作っていくと言うのが教育の一番大きな目的だと考えます。そのためにはどうすればいいかと言うことが一番基本の問題だと思います。 先ほど、京大の理学部の学生のことをちょっとお話ししましたが、彼らの頭が悪くなったなんて事は全然なくて、何十年前と全然変わらない。だけど何かに興味を持つんだけれどそれを持続出来ない。或いは自分で面白いことを見つけることが出来ない。先生に言われた事しか出来ない。と言う風になってしまっている。何故かと言うと、小さい時から何か自分で面白いと思った体験がない。何か不思議と思った体験がない。或いは不思議と思って一生懸命考える、そして自分で腑に落ちるという体験が全然ない。特に大学院で数学の研究者のための教育をやっていまして一番困るのは、分かったのか分からないのかが自分で分からないということなんです。先生に言われないと正しいかどうかが判定出来なくなってしまっている学生が非常に多い。見ていて君そこが面白いと思わないのと聞いてもさあというだけなんです。何が面白いと言うことすら分からなくなってしまっている。だから単にテストの成績の問題じゃ全くないんですがそういう状況になっている。 日本の教育で一番危惧しますのは、教育に競争原理の導入が必要だと言うことで学校は競争しなければいけないと言われていますが、その競争が何かと言うと最終的には東大に何人合格させたかと言う競争なんです。でも合格させた学生が東大できちんと学ぶことが出来るような力を付けているかと言うと大いに疑問なんです。何故かと言えば、自分で感動することも出来なければ疑問を持つことも出来ない。或いは疑問をとことん追及していけないという癖が付いてしまっているからなんです。大学ではそれを直そうとするんですが、学ぶのにやはり旬の時期というものが有りますから、中高生でしたら本当に一ヶ月も有れば出来る事が大学生になると、プライドも有るんでしょうが一年経っても二年経っても少しは良くなるという程度にしかならない。 そういう意味では一番大きな問題点は、私たち自身が教育と言うのは本当に大事なんだと思うことなんです。先ほど週5日制の話がありましたが、先生の労働を週40時間にするために何をすればいいかというと先生の数を増やせばいいだけの話です。先生の数を増やすためには予算を増やせばいいわけです。ところが不景気になった時には真っ先に減らされるのは教育予算なんです。私は逆ではないかと思います。不景気を克服するための優れた人材を育てるためにむしろ沢山教育に投資すべきである。それが『米100俵の精神』だと思いますが世の中は逆の方向に動いているようです。
森友 有難うございました。まさに教育界は課題一杯ということが分かってきたわけです。次に、教育の中での珠算ということを考えていきたいと思います。教育の中での珠算の位置付けは徐々に軽くなって来ているのかなという感じも一方でするわけでありますが、京大の上野先生とご一緒に活動されている西村和雄先生はご本の中でこんな風に書いておられます。読み書きそろばんに代表される反復学習がいかにも軽視されているのではないか・・と。林先生、現行のカリキュラムでいくと珠算教育は将来破滅するのではないかと書いておられますが、このあたりに少し触れていただけますか。
林 門外漢であります私が言いたいことを言わせて頂いておりますがよろしくお願いいたします。ただ今ご指摘頂きました通り、教育の中での珠算の現状と言われたらもうどうしようもないミゼラブルな状況でございます。私自身そろばんの専門家ではないんですが、それだけになおそれを強く感じるんでございます。 昔から読み書きそろばんと言われながら、読みと書きは一年生からしっかりと教えてるのになぜそろばんだけは三年まで放置されているんですかね。三年になって突然に文化遺産みたいに出してきてですね、これがそろばんですよはいさよなら、それでは全くそろばんというものは分からないですよ。それならば読み書きそろばんというのを止めて読み書きとおさえてしまえと本当はいいたいのですが、やっぱり読み書きそろばんが大事である。「読み書き計算」では駄目なのです。後でも申し上げますが、そろばんこそ大脳の活性から考えたら、小学校一年から導入して欲しい非常に重要な大事なものであるにもかかわらず極めて不当に扱われてきた。実際、自分でそろばんを教えることになれば、小学校の一年生の先生にそろばんが教えられるかが問題になります。現状ではそろばんを教えられる先生は非常に少ないだろうと勝手に推定いたしております。 だから、義務教育の中でそろばんが教えられないのであれば、そろばんの先生が今ならば日本にこれだけおられるのですから、これらの先生方が塾でそろばんを教えることを文部省は義務教育化したらどうか。義務教育ですから指導を受けなければ小学校を卒業させないぞと、卒業するまでに最低3級をとって置けと一言言ってくれればいいのですがね。 小学校の一年生の辺りからそろばんをきっちり教えてもらって、3,4年生位である程度マスターし勉強を一生懸命されると上野先生のおられる京都大学にも入れるわけです。そろばんを3年生になってちらっと見せてさあそろばんをやりましょうという現場で何が起こったか、小学校の中でそろばんを習ってきた子供と習っていない子供の計算の格差があまりにも大きいから、そろばんを習った子供が「先生こんなん答え簡単や」言うたら、先生が「おまえ廊下で立っておれ」と言われて、計算の上手い子供が逆に干されてしまうというような話が生まれます。この点については後で織井先生に触れていただきたいと思っています。 私の言いたいことは、教育の中での珠算の現状と言うのは大きく分けて三つあると思います。一つは、今のようなそろばんは文化遺産だという単なる紹介で終わるのは止めて欲しい。次に、むしろ一年生からそろばんを教えて下さい。三つ目に、しかし学校の先生に押し付けることはない。何でも学校が悪いと言うのではなくて、また学校の先生も一杯お仕事を持っておられるのであれば指導をそろばんの先生に任せて、また文部科学省がこれを義務教育と考えていますと言ってくれればいい。何でそれをしないのかなとこんなふうに考えています。
森友 盛り上がってまいりましたが、次に織井先生にお聞きいたします。先生は頂きましたコメントの中に、低学年児童向けの算数感覚向上のための方策を探りたいとお書きになっておられました。また、4年生以降も掛け算・割り算でそろばんを活用すべきであるとお書きいただきました。林先生の続きのような形になりますが、これらの点につきましてお話し下さい。
織井 先ず現状をお話しいたします。そろばんの効用を非常によく分かっている学校或いは教師は、年間に扱うそろばんの時間数が大分増えているようであります。ある程度学校の教育課程として校長以下組織で決めるんですが、教員がある程度の時間数は弾力的に出来る部分がありまして、10時間ぐらいまで延ばしてそろばんに時間を当てている教師もいるようです。 学習指導要領の通りにすると、小学校の3年生に凡そ4時間程度そろばんを必修という形で指導を行うと明記しております。後、中学校まで一切ないわけです。その4時間の中身は、繰り上がり、繰り下がりのない足し算、引き算をやって、5珠の合成・分解のおきないものを1時間やってその後おきるものをやる。その後繰り上がりと繰り下がりの伴う加減を五珠の合成・分解のおきるものとおきないものをやってそれで4時間になる。それで終わりですから、そろばんをやったことのない先生でもある程度指導出来るんです。教えられるというレベルまでは行かないんですが、教科書を見ればそこまでなら何とかなる。4時間はやらなければならないので、もしやってなければ大変なことになる。 実は、学習指導要領には留意点が出ていまして、4年生以上でも複雑な計算を伴う時にはそろばんとか計算器を活用することとか、低学年でも数と計算の意味理解のためにそろばんを活用するということを留意事項に入れてあるんです。しかし、留意事項程度ですから殆ど拘束性はないので、そろばんに関心のない先生は3年生の4時間の算数の中だけで教えて終わりと言うことになります。しかも、4時間の指導ですから、年間150時間の算数の指導時間の中の比率が低くて、通信簿の中でそろばんの成績の評価が反映されません。算数の点数に出てきません。
また、そろばんを4時間の授業のために買わせると言うことに抵抗がある。まだご家庭にそろばんの一つや二つあるようでありますが、段々と核家族化してきますと夏休みに実家に戻ってそろばんを探してくるというようなことがあるのですが、1学期にそろばんを指導されて駄目だったという事例もあります。だから2学期以降にそろばんの授業を組んでくれと言った親がいたようです。学校の備品にはそろばんを揃えているんですが、家に持ち帰ってやらなければ上手くなる筈がない。だから個々の子供が持てないと駄目だという問題があります。大事な背景の中には、企業とか高校入試の条件の中に重視されなくなってきたということもあります。教師自身もそろばんの体験がない人が増えてきたということもあります。ですから、教員にそろばんの効用はと聞くと、十進位取りの理解にいいかなという事を、それでも好意的ですが、発言する程度でございます。現状について発言いたしました。
森友 続きは後ほど伺うことにいたします。上野先生におうかがいいたします。先生のコメントの中でそろばんにつきこんな風にお書き頂きました。計算の仕組みを、そして数値の概念を理解するためのツールとしてそろばんを見直したいという部分がありましたが、この辺りを踏まえて教育の中のそろばんについて触れて頂きたいと思います。
上野 私自身は1945年、戦後の生まれでして、ちょうど戦後の教育を受けてきました。そろばんは小学校の4年、5年そして6年とかなり長い間習いました。ここで難しい問題というのは、いい先生に出会えば面白いと思いますが、先生自身がそろばんを面白いと思わなければ絶対に面白くならないわけですね。私自身最初から4年生の時に躓きまして、最初に4年生のやるそろばんは暗算でやる方が早いわけです。そろばんは少しは練習しましたが、そろばん塾に行ってなかったもので、筆算でやる方が早くてそろばんを使うのがまどろっこしくて嫌なんですね。それでなかなかそろばんが好きになれませんでした。 5年生になりますと、三桁の計算でしたが机の上にそろばんを置いて下で先生の読上げる数をノートで筆算して答えを出すようなことをしていましたから、筆算だけは早くなりました。回りにはそろばんを習っていて計算の上手な子供が沢山いました。しかし、そんなに素晴らしく計算が出来るのに、算数の時間になると元気がないという生徒が多かったんですね。どうしてかということは今になると分かるのですが、私はそろばんからは何となく遠ざかっていました。 京大の数学科の学生が余りにもひどい状態だったものですからついつい教育の問題に深入りするようになりまして、改めて教育の問題を考えてみますと、そろばんの持っている役割はちょっと違うんではないか、つまり私がもっときちっとしたそろばんの指導を受けていればもっと違った形になっていたのではないかと思っています。 一つだけ私が体験したことをお話したいと思います。トモエそろばんの藤本社長さんがあるとき、そろばんで最大公約数を求めるのはこうやってするんですよとパンフレットを送ってくれました。それを見てまして、何故それを小学校でやってくれなかったんだと思いました。それは正にユークリッドの互除法で、それは筆算で式を書いて計算するよりもそろばんで計算する方が仕組みがはっきりと分かるんですね。しかも、そろばんで割り算をするということは引き算をすることであり、掛け算をするということは足していくことなんですね。そのことは正にコンピュータの中で行われている原理そのものなんです。そろばんはそろばんを超えてもっと大きな仕組みを教えることが出来る教材だったはずなんです。そういうことは全て忘れられてしまったようなんですね。 江戸時代の塵劫記、勘者御伽双紙、算法童子問などを見てみますと、そろばんから始まって非常に広い算数、数学の面白い問題が山ほどあります。それらはそろばんの伝統文化の中に全部入っているんだと思います。そのなかには例えば現実にコンピュータの計算に使われているものもあります。あるいは目付け字のように2進法を学ぶのに絶好の話題になるものもあります。そういうものを何故珠算界は全て捨ててしまってそろばんの学習だけに特化しようとされたのか、それがそろばんが衰退していった理由ではないかと思います。 そろばんというのは数の計算を通して、計算することの工夫を、数の持っている不思議さを見つけ出す素晴らしい道具であるんです。そういう大きな背景のもとに、そろばん教育を、小学校の算数教育をもう一度見直してみたら、もっともっと面白い教え方があるし、子供たちがそろばんは出来ないかもしれないがそろばんは面白いと思ってくれるかも知れない。その内の何人かはそろばんを持って挑戦してみたいと思うに違いない。そういう大きな広がりの中で考えていけばまさしく進化するそろばんということになるのではないかと思います。そういう意味では、江戸時代にあれほど素晴らしいそろばんが興ったのですが、当時のそろばんの教科書を見てみますとそろばんだけでは終わっていないんです。そこには必ずそろばんを使った面白い問題が有ります。しかも考えなくてはいけない問題が出ています。そのことをもう一度思い起こして頂きたいと思っています。
森友 有難うございました。今、上野先生から私たちに対する重要な示唆を頂きました。これをどのように受け止めて役立てていくかと言うことでありますが冒頭での大きな収穫でありました。田村先生、大変お待たせをいたしました。先生には珠算界の現況についてお尋ねをいたします。先ほどのお二人の基調講演の中でいくつかにつきましては既に触れられておりますが、ここ2,3年珠算界は変革と進化を遂げつつ大いに健闘していると受け止めていますが、そのあたりを踏まえて珠算界の現況をお話し頂けますか。
田村 二つの観点から唯今の質問に答えてみたいと思います。一つは実態面から、今一つは雰囲気の中からお話いたします。私は今日本珠算連盟の副会長を務めさせて頂き、合せて大阪珠算協会の副会長も務めさせて頂いています。毎年予算、事業計画を作成いたしますが、今年度の予算を組みました折に、不思議なことに下級検定の受験者が増加しているわけです。先ほど篠原常務から会員の数、受験者の数についての実態を伺いました。言われる通りであります。しかし、下級検定の受験料が売上げになるのですが、これが増えているということは受験者が増えていると言うことであり、これは各塾の新入生が確実に増えていると言うことの証左であろうと思います。実態はこのように3年前の売上げと肩を並べ底打ちをして右肩上がりになりかけております。 雰囲気についてふれますが、先日も大阪で講習会がありましてその中で触れたのでありますが、よく言うじゃありませんか、君もそうかい僕もそう、ここ7、8年来そろばんの先生が相寄りますと、この頃あきませんな、君もそうかい僕もそう、あきませんな、新入生が皆目来ないんです、検定試験が受かれば止めていくんです、君もそうかい僕もそう。所が、近畿で3団体の連合体の総会が5月にあったんですが、その中で若い女の先生が、今私たちが拠出して合同でTVのPRをやっておりますが、止めないで続けて下さいね、値上げしてでもやって下さいという発言がありました。その声に呼応して2,3人の先生から賛成の発言がありました。3年程前はどうであったかというと、まあお付き合いだからお金は出しますが値上げは困りますよという声がおおかったのですが状況は変ってきました。最近はいい方向で、君もそうかい僕もそう、よかったねよかったよに挨拶が変ってきた。この原因はどこにあるかについてはこれからの話に繋いで行きたいと思います。
森友 有難うございました。稲田部長大変お待たせをいたしました。部長は日本珠算連盟だけでなく全珠連、全珠学連さんにもお顔が広いわけですが、3団体を熟知されたお立場から珠算界の現況について触れていただきたいと思います。
稲田 今日ここにお招きを頂いたのは部外者の意見を聞き取ろうという趣旨と理解して発言させていただきます。近畿連合さんが平成12年2月から毎日放送でTVCMを提供して頂いておりますことからお付き合いが始まりました。その後3年間継続して提供をして頂いております。この間珠算界は大きく変りつつあるなと実感しております。具体的には、マスコミ特にラジオ、新聞、TVでの珠算の記事、報道が増えつつある。これは特筆すべきことだと思っています。マスコミが取り上げると言うことはネタ、情報が入っているからでありますからこの流れを続ける努力が大事だといえます。 今日のために陰山先生の「本当の学力をつける本」を読みましたが、この本が50万部のベストセラーになっております。このような硬い本が50万部も売れると言うことは驚異的な現象です。出版社が儲かったかなというレベルが5万部、これの10倍の部数が売れていると言うことは、内容の是非は別にしまして陰山先生の書く内容に関心のある父兄が多いということで、このことが珠算界にとっては宝の山と考えて欲しいと思います。大きな潜在的需要が日本のあちらこちらに眠っているということを珠算人は自覚すべきだと考えます。 今年の2月に全珠連さんで全国キャンペインをやりました。北海道から沖縄まで、ラジオを使って無料体験のキャンペインをいたしました。全珠連では今無料体験入学を受け付けていますという40秒のスポットでしたが、全国で約200件の問い合わせがありました。殆どが主婦でした。ラジオは聞いてメモをして電話を掛けると言う中々難しい媒体なんですが、にもかかわらずそれだけのレスポンスがあったということは、そろばんに興味と関心を持っている人が沢山全国におられるという事実を示している訳です。こういう方々を各地域で拾い上げていくということが生徒を増やすポイントになるのかなと思っています。塾によっては沢山入った所と反応のなかった所とに分かれますが、マスコミで告知した後どのようにそろばんに興味を持つ沢山の人たちをフォローして拾い上げていくかがこれからの大事な課題かなと思っています。
森友 有難うございました。今までコメント頂きましたのは現状を改めて分析してみようというコーナーでありました。学習指導要領の問題、教育界の抱えております課題、教育の中での珠算の立場、そして珠算界の現況を今押さえたわけであります。これからは望ましい珠算教育というのはどのような姿であろうかという所に入ってまいります。まず最初に、学力低下の中での珠算の役割ということでありますが、林先生にお伺いいたします。先生のレポートでは、基礎学力の構築にどのようにそろばんが機能するのか大変興味があるとお書きになっています。如何でございますか。
林 先ほどは現状についてかなり乱暴なお話をしましたが、それではどうすればいいのかということになります。学力低下の中での珠算の役割というのは三つあると考えています。一つは、先ほど上野先生も言っておられましたが、珠算と言うものを教具としてとらえ、計算の能力を高める(暗算もそうですが)或いは計算の技能的能力を高めるということに効果があることは言うまでもないことですが、そればかりが強調されているように思います。二つ目は、先生方はお気付きのことでありますが、学校ではいじめがあってもそろばん塾ではいじめがないのは何故か、これは要するに忍耐力が育成されるためです。現代の子供たちには忍耐力がない、忍耐力がないということは修行の場がないということであります。学校ではカリキュラムに追われている訳であります。そして、協調性と言う点、絶対評価と言う心理的な効果と言うものがそろばんの塾にはある。そろばんを学ぶことで子供たちはそういうものが身に付く訳です。習われた方はこのことを知っておられるのですが、意外とはっきりと明言されていない。 三つ目が一番大事なんですが、そろばんでの計算の上達を通じて大脳の活性化が計られるということは、私以外の専門家の先生方も気がついて頂いて本なども出して頂いておりまして実際その通りなんですが、そろばんを練習しているということが大脳の活性化に非常に大きく働く。また後でこのことには触れますが、そういう点が一般に認知されていないということが大事なんですね。
これからの珠算の役割というのは、計算能力を高める、算数のポイントを上げるという目に見えた部分だけでなくて、むしろ忍耐力の育成とか協調性の育成とかの心理的な効果と言うものと大脳を活性化させることによって学力を付けていくと言う場合に最小の努力で最大の効果が上がる、つまり他の学力もそれによって上がっていく、そろばんを学ぶことによって珠算以外の学力も底上げすることが出来るということがある訳です。ですから、本当に大切なことは珠算の専門家が日本におられる間に早く全ての子供たちに珠算学習をさせて欲しい。珠算の専門家にお願いしたいことは、「ゆとり教育」ということで文部科学省が土日を開放してくれた訳ですから、その時間を使ってでもそろばんの指導を早くやって頂きたい。そろばんを学ばせることで他の学力も上がっていくだろうと考えていますので間に合う間にお願いしたいと思います。
森友 有難うございました。織井先生、基礎学力の底上げを珠算学習でやっていこう或いはやって見ようということについては如何でしょうか。
織井 先ほど上野先生、林先生共におっしゃたのですが、教育の目的の中に、課題を発見する力だとかその課題をどのように解決すればいいかが分かる人間を育てなければいけないということがあります。計算機は便利なんですが、この計算機で打ち出した答えの数値に間違いがないのかということに疑問を持たない子供が恐ろしいのです。そういうことに疑問を持たない人間を作っているような気がするんです。つまり人が作った計算機は使うことが出来るが、自分では計算機を作れない人間を増やしている。このあたりが教育では課題なんだろうと思っています。キーの打ち間違いでとてつもない数字が出てきても答えとして平気で言う子供がいます。これは恐ろしいことなんです。この子供は何処でチェックする機能が欠けてしまったのかと思うんです。そういう意味では計算操作のシステムが監督できるというそろばんの効用は大きいと考えています。上野先生も言われるようにシステム理解のためにももう一度そろばんを見直そうというご意見に私も賛成です。 もう一つ、計算と言うものを或いは数というものを一番先に子供たちに身につけさせるということになると、保育園或いは幼稚園の時代ではないかと思うんです。幼児の用具にそろばんのような珠があってくるくる回っているのがあります。一つのものを指で押さえて一つ動かすと言う、つまり一と一を対応させると言うことが一番大事な数への第一歩だと考えます。そこのところでそろばんが器具として道具として大きな意味があるんだろうと思います。ですから私は小学校でそろばんを使うんだったら一年生からだと思っています。一年生でそろばんを使わないと意味が無い。何故三年生になって一年生で習った筆算の問題をそろばんのためにやるんだということになる。そろばんを学ぶためにそろばんをやるような感じになってしまう。そうではなくて、もっと計算に数に強くなるためにそろばんを一年生から道具として使うことが大事なんではないかと思います。具体物としてのそろばん利用、そのことが確かな計算力になる。根気強くやるとか一つのミスも許さないという集中力を身につけていきますと、そこから暗算力とか概算能力が出てきて、結果としてアナログ的な発想しか出来ない人間がデジタルでものを考えられる人間になっていく、これはそろばんの大きな効用だと考えています。
森友 有難うございました。期せずしてそろばんをツールとしてどのように活用していくかということが上野先生と織井先生から共通のテーマとして出てまいりました。次に上野先生にもお伺いいたします。先生のレポートでは、今後ますます数に関する把握能力が求められる時代になってくるであろうと書かれました。学力低下の中での珠算の役割と絡めてお話しいただけますか。
上野 2000年に幕張で世界数学教育学会が開かれました。その時にアメリカのクリントン大統領からメッセージがきました。これからの社会人にとって大事なことは、数値を把握する能力だと書いてありました。森総理大臣からもメッセージがきましたがお決まりのことしか書かれていなかった。アメリカの政治家でさえ或いは政治家だからと言うべきかもしれませんが、数値の把握力を重要視している。何故ならば、今の社会は数値でもって殆ど全てが表現されるからです。数値に込められている意味が分からなければ本当の事の意味が分からなくなってしまう。例えば、東海村での臨界事故もそうなんです。事故で亡くなられたお二人の方は上司に非常に大きな沈殿槽で濃縮ウランをつくる作業をしていいかと許可を求めていたわけです。それに対して上司は、19%の高濃度の濃縮ウランをつくる作業と3%未満の普通のウラン溶液をつくる作業とを勘違いしたんです。勘違いしたことで臨界事故が起こり会社は殆どつぶれてしまうことになった。たった一人の判断ミスでそんな恐ろしいことが起こってしまう。 日本だけでなく世界中のシステムは非常に脆い、人間が何とか防がなければならないような形で成り立っている。例えば、一昨日のアメリカの東海岸の大停電、ほんの一瞬の何かのトラブルがこのような事故になる。しかも今の社会は兆の位の数も出てくれば逆に環境ホルモンのような一兆分の一という小さな単位の数も出てくる。大きな数も小さな数も瞬時に認識しなければならないような世の中に私たちは住んでいる。そういう時代に、今回の学習指導要領のように2桁掛ける2桁の掛け算しかやらせないと言うことは明らかに時代に逆行している。そういう状況の中で母親たちが学習指導要領に不安を持って、子供たちが何とか計算能力を身に付けるようにしなければならない、数値把握能力を身に付けさせるために珠算に飛びつく気持ちはよく理解できる。正に珠算界にとって絶好の好機ですが、これを珠算界だけのことにとどめて欲しくない。そうではなくて、子供たちがどうやれば数値把握能力を身に付けることが出来るかということに対して、珠算界はどんな貢献をすることが出来るかを考えて欲しいのです。あくまでも視点は子供に置いて欲しい。そうすると別の面が開けてくる。 話は変りますが、障害児に算数を教えておられる方がおられるんです。その方の話では、二羽のウサギと三羽のウサギがいました。全部で何羽ですかと言うと皆が五羽と答えてくれるんです。ところが二羽のウサギと三羽のニワトリがいます、全部で動物はどれだけいますかというと答えられないのです。私たちは何気なく2足す3は5とやっていますが、2とか3という数を単位を付けずに把握する力というものは何でもないように見えるのですが物凄い力なんです。私たちはそのような仕組みを社会全体で作ってしまっていますので知らず知らずに覚えてしまっているのですがとてつもない大きな力なんです。 算数で水道方式というのがあるのですが、数値を把握するのにタイルを使って具体的に把握していこうという考え方です。100は大きなタイルで表し、10は十等分した細長いタイルで、それを十等分した四角い小さなタイルが1を表す仕組みです。この仕組みで3桁の数字を理解させようとしているのです。今の教科書を見てみますと、1年生2年生の教科書には必ずタイルの絵が描いてあります。しかし、そろばんの珠は描いてない。1,2年生にとっては、そろばんの珠で数字を見るというのはタイルよりも一段抽象化が進むために難しいためだと考えられます。難しくても、タイルの横に12であれば1と2のそろばんの珠が描かれていれば、子供たちはこれは何だろうと考える筈です。そろばんを触るだけでなくてそろばんの珠の図を書き込むだけで、子供たちの数値感覚を養成する上で大きな力になるのではないかと考えています。 そろばんでの計算の仕方を小学生に教えることも大事かもしれないが、それ以上に算数の教科書の中の色々な場面にそろばんの絵を入れるだけでそろばんに対するイメージが大きく変ってくると思います。また、イメージだけでなくて、数値把握能力あるいは数の持っている不思議さに対する子供たちの感覚が研ぎ澄まされてくる。そういう努力を私たちはこれからしなければならないのではないでしょうか。恐らく検定教科書にそろばんの図を入れるのは難しいと思います。しかし、参考書だったら幾らでも作れる訳です。そういう意味では教科書に準じて、そろばんの先生たちがそろばんの絵が横に入った副読本のようなものを作られたらいいと思います。そのためにはそろばんの計算だけでなく、そろばんには大きな広がりがありますので、その広がりを含めた形で面白い題材を取り込んだものを作り、そろばんの情報を珠算界からどんどん積極的に発信していくべきだと思います。 それこそが学力低下に対する珠算界の回答だろうと考えます。しかし、珠算界だけでは出来ないだろうと思われます。数学教育に携わる方たち、数学を実際にやっている方たち、あるいは、電卓で数学教育をやっている方々の力を合せてやるべきことだろうと考えます。珠算の問題は珠算で閉じるのではなくて広げていただきたい。子供たちにとって、何が一番数値感覚を高めるのに、自分で計算を把握するために役に立つのかと言う観点に立ってそろばんをもう一度見直して頂きたいと思っています。
森友 有難うございました。次にコンピュータの問題に入りたいと思います。コンピュータ社会での珠算の役割というものがあろうかと思いますが、稲田部長さんは実務界で頑張っておられるのですが、この辺りに触れていただけますか。
稲田 外から見たときの珠算の先生の役割と言うことでお話いたします。 広告業界の人間はデータが好きですのでいくつかの数値を紹介したいと思います。先ず1998年の東京都社会福祉調査からの抜粋ですが、小学校5年生と中学校2年生に対する質問で、勉強のことを気楽に訊くという項目で、1は学校の先生、2は習い事の先生、3はどちらでもないという項目があります。5年生では1の学校の先生に聞くが46%、2の習い事の先生に聞くが27.7%、3のどちらでもないが23%でした。中学2年生になりますと、1が25.3%、2が52.5%、3が20.1%になります。中学生になると勉強のことは塾の先生に聞くという生徒が多くなる。
勉強のこと以外楽しく話をするという質問では、5年生では1の学校の先生だという人は48.5%、2の塾の先生だと言う人は24.4%、3は23.1%でした。中学2年生になると、1が29.3%で、2が42.5%、3が25.6%になる。中学生になると塾の先生に寄せる信頼が大きくなるという事を示しています。 次は、1999年の公文のレポートですが、幼稚園の先生と園長に向けた質問で、今幼児に一番欠けているのは何ですかという質問です。一番は頑張る力、二番は礼儀作法、三番が基礎的な躾となっています。 最後は、1999年の東京都立教育研究所の調査です。6年生への質問で、居場所が無くて不安感を感じることがあるかという問いには、よくあるが7.8%、時々あるというのが47.8%、殆どないが37.5%でした。 これらのデータを考えますと、そろばんの先生の役割というのは、学校の先生でもない親でもない身近な頼れる人であるということがこれからの珠算の先生に考えてもらいたい部分ではないかと思っています。
森友 有難うございました。上野先生のお書きになったものの中に、そろばんは計算のアルゴリズムの理解にとってもいい、同時にコンピュータで行う計算のアルゴリズムとの比較を行ってみるのもいいのではないかというくだりがあります。その辺りに触れて頂けますか。
上野 そろばんと電卓、コンピュータは対立するものとしてとらえられていますが、私はそうではないと考えています。むしろ互いに協力すべきものと考えています。学生だけではないのですが、コンピュータを使って行った計算で桁が違っていることがよくあります。桁の把握が全く出来ていない訳です。そろばんをやればすぐに直ることなんでしょうが・・・。そういう意味での数値感覚は確かに大事なんですが、それだけではなくて、電卓を教育に使う人たちによく言うのですが、電卓で計算するのは結構なんだが20桁の計算(電卓では13桁か14桁しか計算できない)をやらせてくださいと言うんです。学生の中には、先生、これは桁が大きいので電卓では計算できませんと言ってけろっとしている人がいるんです。もし、計算機しかない、筆算も出来なければどうするのだと言うんです。計算の原理さえ分かれば13桁の電卓で20桁の計算は出来るわけです。 そろばんでは掛け算は上の桁から、筆算では下の桁から計算するのですが、これは何故なのか。生徒たちはこのことを疑問に思うはずです。何故同じ答になるのか。筆算では上の桁からやらないのは位を間違えやすいので下の位から計算するのであり、そろばんでは上の位から計算しても間違えにくいので上の位から計算するわけです。無限小数の計算の場合は何処でもやらない。無理数の計算は高校でもやらせない。その理由は、筆算が下の位からやることになっているものですから出来ない。もし上の位からやれば出来るのですね。そうなれば、そろばんの計算では上の位から計算するのですから、無限小数の計算も位を間違えなければ計算できるということが説明できるわけです。 そういう意味では、そろばんというのは単なる計算の道具ではなくて、計算の仕組みがしっかり目に見えるのですから、教育の素晴らしいツールになっていると思います。また、最大公約数を求めるためのユークリッドの互除法にしても、そろばんでやれば目に見える形でしっかり実感出来る、しかし電卓ではそうはいかない。ではコンピュータの中ではどんな風に計算が行われているのかという素朴な疑問が出てくるはずです。コンピュータの計算は本当に正しいんだろうか、電卓の計算は本当に正しいんだろうかという疑問が出てくるはずです。桁落ち等の誤差が出てきたりすることがあります。コンピュータを使うんだったらどんな所に問題があるのか、電卓はどうなのか、そろばんの場合はどうなのかなどと、互いに比較することによって互いの長所、弱点に気がつくと思います。そうすることから数に対する感覚が強くなってくる。 では、そろばんが万能かというとそうではないんですね。どうしても筆算が必要な部分がある。江戸時代の和算の歴史を見れば分かるのですが、塵劫記の時代は全てがそろばんで計算出来る時代でした。その後、関 孝和が傍書法と呼ばれる方程式の書き方を発見します。中国の天元術を改良して出てくるのですが、そこではある種の筆算をしなければいけない、しかし、方程式を筆算でやることによって数学は大きく進歩した。そのようにそろばんがカバー出来ない部分がある、関数とか、方程式を書く部分です。 よく誤解されるのですが、数式というのは言葉なんです。2X+3Y=5は実はことばなんです。言葉で言い表すことが出来る。アラビアの数学の本には、式は文字式になっていて言葉で書いてある。言葉で書ける訳です。では何故文字式が必要かというと、Xがりんごの数であったり値段であったりといろんなものに適応できる、つまり抽象化が一段と進むわけです。ですから、数学を学ぶことは日本語を学ぶことと関係している。 そろばんの場合も、数字をそろばんの珠に置き換えているのであって、非常に抽象的なことをやっている、最後に数字になり、それもある単位をもった数字なわけです。常に読み替えたり、抽象的な部分に行ったり具体的な部分に行ったりしているわけです。そのようなことが、そろばんでも電卓でもコンピュータでもおこるのです。そのようなことをお互いに比較しながら勉強することによって、子供たちの興味は、電卓を使っただけ、筆算をやっただけ、そろばんを使っただけよりは遥かに大きな刺激を受けることになります。 コンピュータの答を信用してはいけない、必ず桁を調べなければいけない、そして検算をしなければいけないということが身につくと思います。具体的に強制してやらせるのでなくて、いろいろなものを与えて自由に触らせ、面白い問題を出すことで身についていくんだと考えています。そろばんの方たち、電卓を使う人たち、筆算で色んなことをやってきた人たちがもっと積極的に交流して互いに学びあうべきだと思います。そうすることで素晴らしい世界が開けてくると考えます。
森友 有難うございました。次に林先生、先生のご専門の、脳の刺激と活性化がそろばんとどのように絡んでいくのかお話しください。
林 脳の刺激とはどういうことかといいますと、赤ちゃんが生まれてきてから、大脳の中に新皮質という表面の皮がありますが、実はその神経は生まれてから活性化することによって働き始めるわけです。そして働かせるためには刺激をしなければいけない。その刺激は何かというと、赤ちゃんは生まれてから直ぐに手を動かしたり、足を動かしたりしますが、つまり運動刺激、感覚刺激を繰り返すことによって脳は活性化することはご承知の通りです。 そろばんが素晴らしい教具だということは、指先をすごく使わないといけない、指先を動かすだけなら他にも単純な動作があるのですが、実際は指先を系統的に動かせるものであって、しかも練習を積み重ねるためには興味を持たせないといけない、興味を持たせつつ動かせるということでは、そろばんは最高のものであると思います。 日本では、そろばんの教育システムが確立されていますので、子供たちは指先を楽しんで動かし、知らず知らずに脳が活性化されることになります。何時からやればいいのかといえば、そろばんの数概念を理解し始めてからですから、出来れば幼少期、1足す1が2を分かる頃から始めて欲しい。織井先生の言われたように1年生から導入する、或いはその前からでもそろばんの先生に指導していただき、指先の運動をやることが大事だと考えます。生涯続けてやれればいいし、高齢の人でも脳は充分活性化するのですが、一番望ましいのは幼児期から始めてもらうのがいいと考えています。 脳には右脳と左脳がありますが、右脳はアナログで創造性とか芸術性を司ります。そしてこの右脳は珠算式暗算を行うことで非常に発達するという事を多くの先生方が実証しておられます。珠算式暗算を行うためには珠算の練習がいる、両方が出来て両脳が開発される。この両脳が発達すると前頭前野が非常に活性化されてくる。この部分が活性化されると情緒的にも安定し、情操的であり、人間らしい人間になる。そのような意味で、そろばんという教具は、数値計算をするという興味を持たせながら脳の活性化を図る最高のツールだと思っています。
森友 有難うございました。次に、学校支援珠算指導活動は、大阪では4年目を迎えるのですが、学校珠算活性化の一つの切り札かなと思っていますが、田村先生にこのあたりに触れていただきます。
田村 学校支援珠算指導活動は、お二方の基調講演にありました通り、大変大事なことと考えています。私たちの珠算指導が、文部科学省という公の機関の認知を受けて珠算の指導に当ることが出来るようになったことに大きな意味があり、このことを各地の先生方にしっかり伝えて欲しいと願っています。一人大阪だけでなくて、広く日本全国でこの運動を展開していただくために、日珠連でも特別委員会を作り、私が担当の副会長として活動を進めていくことにいたしました。小回りをきかせ迅速に作業をおこなっていきたいと考えています。
この運動を展開するに当たっては、生徒の増加や塾の繁栄を期待してことに当たってはならないと思います。学校教育の実を挙げるためのお手伝いをするということで出向いて頂かないといけないと考えています。ただ、副次的にはそろばんの先生を喜ばせることが現実に起こってくる。例えば、校長先生が学校便りにこの支援活動を詳細に報告する文を書いていただいた、或いは、担任の先生が子供たちにこれ以上習いたければそろばんの塾に行くように進めていただいたという報告も出ています。また、そろばんの検定試験の日程を優先して学校の行事を組んで頂いたということもあったようです。 日珠連も各地に参りまして、この運動の推進を呼びかけておりますが、ここ一二年が勝負かなとも思っております。また、この運動は、3団体で合同して行うのが一番でありますので、そのような配慮をしながらの展開をお願いいたしたいと思っております。具体的な展開の方法には、大阪方式、東京のやり方、他の地域の方法といろいろありますが、各地の特色を生かしながら、ベストの方法で展開していただければいいなと考えています。どうすれば実現できるかが一番のポイントであると考えて推し進めてください。
森友 有難うございました。学校支援活動について、織井先生からもう少し工夫があるのではないかと注文がついていますが、その辺についてお話しください。
織井 大野専務さんからは、大阪でも頑張っている、篠原常務さんからは全国の3,300の市町村の教育委員会に通知している、田村先生からも各地で頑張っているという話がありました、本当に有り難いことと思っています。学校関係者から申しますとこれは本当に有り難いことと考えています。 ただ、校長の立場から言いますと、教員の中には苦手にしているものにいろいろ有りまして、まず書道なんです。3年から6年まで年間30時間、全部で120時間の毛筆書道の指導が大丈夫かという不安を持っています。二番目が器械運動、跳び箱とか鉄棒とかの指導が、走る指導でさえおぼつかないのですから大丈夫かと不安を持っています。三番目は、楽器の指導なんです。音楽の専科の人が全部見れればいいのですがそうもいかない、それに年々楽器も変っていくものですから不安を持つわけです。その上にコンピュータの問題があります。その次ぐらいにそろばんが悩みとしてランクされてきます。 外部の指導者を導入して是非やっていきたいし、またそろばんも大変大事なんですが、校長の立場ではいろいろ頭を巡ってしまうんです。先生が指導できないから代わりに外部の人に頼んでいるということが保護者に伝わることもどうかなということにもなり、躊躇してしまうのです。何もかも出来なくて人頼みだなということになりかねない。一輪車に先生が乗れなくてもこれは大丈夫だとかのことがあるんです。このように外部の人を招くのに躊躇がある。 今ひとつは、3年生の4時間のために来ていただくのはきっかけで、実は計算の躓きの是正のために、T.T.つまりティームティーチングの形で、1年生の計算のところからそろばんを片手に指導していただけたら大変有効だろうなと考えています。3年生での指導をやりながら、実は1年生の方がもっと効果を発揮しますよ、1年生の躓いている子供たちには私たちがもっと力になれますよというような広げ方をして頂けたらもっといいかなと思っています。 8月14日の新聞に学力upに小・中支援室を置くということを文部科学省が発表しました。退職教員や大学生を常駐させて学力向上の訓練の機会を増やそうという発想です。学力up支援室は経費を払って人を雇うわけですから、そろばんの先生方もこれに加わってもいいんではないかと思っています。このような攻め方もこれからの学校支援のあり方として出てきてもいいのではと考えています。 総合的学習は方法論的なものだけで体験さえさせればいいという問題が多いのですが、もっと目的のはっきりしたものにしようという考えがあります。その中に、起業家教育つまり創業の精神を子供たちに身につけさせようという考えがあります。小学校では出店を作ったり、中学校では市場の取引を模擬実験したり、高校では資本を導入して模擬会社を作ったりし始めています。この中でそろばんが役立つのではと考えています。そろばんを学習の或いは教育の目的にするのではなくて、教育目的は自主自立、起業精神を持つ子供を育てることに置き、手段としてそろばんを活用する。このような仕組みの方が学校では受けるようです。また、今英語をやっていますが、英語が目的ではなくて国際的な精神を身につけた子供を育てたいから英語を使おうという考え方なんです。このあたりも考えて欲しいなと思っています。
森友 次に、世論の理解と協力を得るためにはどうすれば良いのかというところに入ります。先ずは日本数学協会の役割であります。これは先生方にとって大変大きな意味を持つ事柄であります。発足しまして半年でありますが、これから先どのような方向を目指してこの協会が活動していくのかは正に注目に値することであります。私たちに与える影響は極めて大きいといっていい。これからの方向性について、田村先生にお話しいただきます。
田村 人様に何をしてもらえるかよりも自分たちで何が出来るかを考えなければいけないと思っています。私たちとしては、先ず参加して会費を払って欲しいということだと皆さん方にはお願いしました。先日の幹事会で、上野先生他の先生方から次のようなお話を頂き感動しました。これから先、そろばんの先生方も論文をどんどん出してくださいと言われましたときに、私は申しました。そろばんの先生方は技術はしっかりしていますが、論理的に数理を整えて論文を書くということは難しいんですと。これに対して上野先生からは、出来の良し悪しはともかく先ずは提出してみることです。論理が、手法が不十分な場合は皆で補っていいものにしていけばいい。他の分野の先生方と共に、珠算の議論をより高いものにしていければ一番望ましいことですという趣旨のお話をしていただきました。大変嬉しいご助言でありました。今後、このような方向で取り組んでいきたいと考えています。
森友 上野先生、この協会の責任者として今後どのように舵を切るのか、珠算人の前でお考えを述べていただけますか。
上野 この協会を作りますときに、私自身がもっと珠算の事を知りたいと思ったことが一つあります。珠算の世界の人たちには、珠算の面白さを沢山の人たちに伝えて欲しいとという思いがありました。数は少ないのですが、投稿された論文を見ておりますと、ああこんな考え方があったのか、何故このようなことを小学校でも教えないのかといったことが沢山あります。 珠算の方々、数学の研究をしている専門家、数学教育の専門の方、実際に企業で数学を使っておられる方、大脳生理学で珠算、計算に興味を持って研究されている方が一緒に集まって、自分はこんなことをやっているという事の情報を交換するだけで、互いに刺激しあって面白いことが出てくるのではと考えます。その基本というのは、皆で数学、算数を楽しもうということだと思います。楽しいからこそ色んな工夫が出てくるし、自分もやってみようということにもなるんです。 読み書きそろばんは基礎力として大事だと考えていますが、では何故基礎的な力が必要かというと、それを使って社会に役立つ事をすることも大事だし、自分で楽しむことも大いに必要なわけです。そういう意味での基礎力であって、テストの成績がいいだけでは意味は無い。そう考えると、そろばんは単なる計算の道具ではなくて、むしろ考えるための道具であると考えた方がいいと思います。 実際そうだと思います。江戸時代に、塵劫記の中で出てくるからす算を考えてみると、999羽のからすが、999浦で、1羽のからすが999声鳴くと全部で何声鳴いたかという問題。999×999×999で簡単に答が出る。このようにそろばんでやれば簡単かも知れませんが、工夫すれば引き算だけででも出来る問題になるわけです。もっと難しく言えば、二項定理の問題になりますから、そこから話題を発展させれば高校、大学まで繋がるような話題がその中に潜んでいるのです。1627年に最初の本が出たのですが、その中にこのようなことを扱っているんです。そろばんの単なる計算の裏側には、考える楽しみを増してくれるような材料が山ほど転がっている訳です。ですから違う文化を持った人たちが集まって、互いに話し合い、情報を交換し合うことから始めるべきだと思っています。 一つだけお願いがあります。色んな歴史を持った団体はいろんな意味での文化があります。数学者の文化というのは何であるかというと、年齢にこだわらないということなんです。ですから年取った人が偉いわけではない。数学の何かの部分を教えてもらっている時は、その人が高校生であってもその人が先生で、自分は生徒なんです。 自分が教えている時は、相手がどんなに年上の方であってもその人が生徒なんです。そのような形で私たちは臨んでいます。日本数学協会でもそうであって欲しいと願っています。皆がある種平等であって、特に数学の前では平等である。年を取っている人が偉い訳でもなく、若い人が生意気なわけでもない。面白いことを知っていれば皆で楽しもうということが基本だろうと思います。この点は珠算の世界の文化とは少し違っていて戸惑われるかもしれませんが、そういう文化を理解していただき、ざっくばらんにお付き合いして欲しい。こんなことを訊いたら恥ずかしいなどということはして欲しくない。 若い頃に、ドイツで経験しましたが、偉い先生がえっと思うような質問をするのです。あとで気が付きましたが、そういう馬鹿な質問をすることによって、若い人たちが気後れしないで質問できる雰囲気を作られたのだと知りました。日本数学協会は皆が平等で楽しく話し合えるような会にしたいと考えています。
森友 有難うございました。稲田部長にお尋ねします。珠算を世間に説明し説得する時に決め手になるのはどんな点でしょうか。
稲田 マーケッティングとかブランドという言葉はご存知だと思います。身近な啓蒙であるとか生徒募集の時に、ちょっとマーケッティングとかブランドの知識を塾の経営に生かしていただければ、今のいいムードの中では生徒の増加に繋がっていくものと思っています。このマーケッティングとかブランドの知識を如何に生かすかについては、9月の大阪珠算協会の講習会でお話することにしております。マーケッティングの中には、ニーズ、ターゲット、メッセージの内容、広告のことそして人集めのことなどが含まれていますので勉強していただければと思っています。
森友 織井先生、世論の理解を得るためには、珠算界としては何をやるべきか一つに絞ってお願いします。
織井 8月7日に中央教育審議会が、今後の初等中等教育のあり方について五点あげ意見を求めました。確かな学力、学習指導要領に示されていない内容でも歯止め規定を外していこう、総合的な学習の中では経験豊かな人材を活用しよう、個に応じた補充的な学習や発展的な学習をもっと重視しようという点などを挙げて広く意見を求めています。これはそろばん復権のチャンスです。8月一杯位で文部科学省は意見を広く求めていると思います。そろばんの3団体が連合して意見書を提出して欲しいなと思います。
森友 有難うございました。林先生、世論の協力を勝ち取るためにはどのように動くべきかについてまとめていただけますか。
林 珠算の幅の広い効用をキャンペーンするためには理論武装が必要です。それぞれの専門家の知恵を借りながら、それぞれの立場で理論武装した上でのキャンペーンを行っていくべきだと思います。私の分野でしたら、そろばんを練習すれば前頭前野が発達するんだという実験結果が出始めていますので、このようなものを発表していく。その発表の場が日本数学協会であるのであれば、私は今日にでも協会に入れていただきたいと思っています。具体的な、そして専門的な内容をどんどん発表しながら理論武装を進めていくことが、これからの平成のPRの有り方だろうと考えています。 森友 上野先生、このような珠算界の勉強の場に出ていただいたのは始めてであっただろうと思いますが、今日はいくつもの大事な提言を頂きましたが、最後に珠算界に望むことという形でご発言ください。
上野 先程から、今の子供たちには忍耐力がないと言われておりますが、確かに大学生にもそのことを感じています。しかし、実際は子供たちに忍耐力がないのではなくて、日本の社会全体に忍耐力がない、大人に忍耐力がないのであるから子供たちにも忍耐力がないと私は思っています。その意味では、そろばんをやれば忍耐力が付く、或いは忍耐力を付けるために色んな訓練をさせるということは確かに正しいのですが、大人たちが積極的にやらなければ結局駄目なのではないかとも思います。 子供たちに忍耐力を付ける一番いい方法は、そろばんを練習すれば楽しいということに尽きる。何であっても楽しければどんどんやる。子供たちだけでなくて、親もおじいちゃんお婆ちゃんも巻き込んで、そろばんをやって皆で楽しむという雰囲気を作ることが一番のPRではないかと思います。そういう例を一つでも作っていけば輪がどんどん広がっていくのではないかと思います。
森友 田村先生、上野先生からそろばんは考えるための道具ではないかというお話が出ておりますが、これをどう受け止めどう対応していかれますか。
田村 習い事、学問というものはインタレスティング、興味、楽しみを忘れてしまえば学ぶ目的が失われてしまう。先程、明るさが出てきたと申しました。それも大阪だけでなくて近畿一円で明るさが出てきておりますが、これはなぜかと考えますと、日本数学協会が発足し、そのことをマスメディアが色んな形で報道してくれました。小学校への講師派遣の活動も相乗効果をもたらしているかも知れません。どれが原因かは分かりませんが、近畿に明るさが見えているのは、近畿の先生方3団体で1,700名が目的意識を一つにして行動したということが大きな要因だと考えます。このいい傾向を日珠連にも伝えて5,000有余の会員の明るい希望につながればいいなと思っています。
森友 有難うございました。 現在の、コンピュータを多用いたします社会・経済システムと学力低下傾向が本気で懸念されます教育システムの中で、珠算が果たし得る役割の解明と、それらを世論に説明し珠算教育に対する理解を求める方策については、今日の討論でかなり明らかになったと考えています。例えば、上野先生から、そろばんは考えるための道具として位置付けるというご意見、またそろばんの計算だけへの特化は危ない部分を含んでいるというご示唆、そして、連合で出しております『たのしいそろばん』の中身についても、改訂をする予定ではありますが、もう少し中身を膨らますことを考えるべきである、つまり和算の要素をもっと取り入れていくのがいいのではという提言も頂きました。そろばんは万能ではない、相互補完を考えるべきということも教えていただきました。
他の先生方から頂きましたご意見、ヒント、アイディア、アドバイスを今後上手く生かしながら、社会と教育の中で積極的に受け入れられる珠算の指導法を確立し、世論の認知度と評価を高めていく努力をしていきたいと思います。自助努力と自己改革を常に行っていけば道は開けるという夢を持ちたいと願っています。 吉田松陰の、“夢無くして計画なし、計画なくして実行なし、実行なくして成功なし、而して、夢無くして成功なし”という教えを締めくくりにさせていただきます。皆さんのご協力有難うございました。
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