そろばん,おおさか,大阪珠算協会, soroban, abacus
日本商工会議所 認定 大阪商工会議所 認定
日本珠算連盟 加盟 大阪府教育委員会 認可
日本珠算連盟の大津そろばん見学会に参加して来ました。大阪から、西副会長と田中監事と私の3名です。
そろばんがなぜ大津で発達したのか。なぜ滅びたのか。滋賀県の大津市歴史博物館の学芸員の方の話を約1時間開き理解を深めてきました。
日本のそろばん作りのルーツを知り、又江戸時代のそろばんの息吹を身近に感じてきました。次はインターネットに出ていた文章です。
『慶長十七年堅、時の長崎奉行・長谷川左兵衛藤広について長崎に出向き、明の人よりそろばんの見本と使用法を授かって帰郷したその人が、大津追分の片岡庄兵衛でした。
彼は工夫研究を重ね、中国式そろばんの形状、組み方、材質等を日本人向きに改良。ここに日本式の大津そろばん (当時は中国同様日本も上玉二ツ、下が5ツ玉) が誕生しました。以来片岡家は代々「御用のそろばん屋」として名を馳せ、そろばん製造の家元となり、そろばん販売の特権を認められました。片岡家のほか、玉づくりの名人・小島庄兵衛、木屋安兵衛、昆布屋定治郎ら、多くのそろばん師が技を競って優れたそろばんを生みだし、「そろばんといえば大津」といわれたもの。
追分・大谷あたりには、江戸三百年間にわたって多くの製造業者、職人、関係業者が集結し、全国の需要をほとんど一手に引き受ける状態でした。
大津そろばんは、一見しただけで違いがわかり、しかも他には真似の
できない二大特徴を誇っていました。一つは、ときわゴが極めて細く優美な表情。二つ目は本指(ホンザシ)と称する組み方で、釘も鋲も接着剤も一切使わず、貧乏ゆすりもしない堅固さ。これは門外不出の秘法とされ、非常に複雑で独特の技によるものでした。そしてこの二大特徴が、日本のそろばんを優れたものにしたといえます。』(右欄上へつづく)
大阪珠算月報707号より承認転載
(左欄下より)
大津以外にも堺や博多やいろいろの地域にそろばんの産地がありました。また、20年ぐらい前まで鹿児島にも大隈そろばんがありました。
大津が江戸時代の一大産地といわれるのは、追分つまり、京都・北陸・東海道・奈良への交通の分岐点となった江戸時代、大津絵とともにお土産に買い求められたようです。

だから、全国に流通しやすかったのでしょう。大正になってから大津そろばんを復興しょうと計画し、大津そろばんを江戸時代に作っていた人を技術顧問として雇い、そろばん作りを再開されましたが、珠そのものの作りが新興の雲州や播州に比べて効率が悪く1年で断念されたようです。
滋賀の西教寺には長谷川左兵衛藤広の墓があり、中国そろばんを持ったお地蔵さんがありました。この冬、もう一度ゆっくりと家族と大津の歴史博物館や史跡を巡るつもりです。