「珠算の将来」 上野 健爾 京都大学名誉教授
目 次
珠算の将来
21世紀に入るとともに、珠算教育に対する評価に大きな変化が現れて
きた。小学校の指導現場においては、学校支援珠算指導活動(ボランテ
ィア指導)が全国的に始まり、学校サイドには、年を追うごとに、珠算
指導の意義、利点が理解されるようになってきた。
小学生たちにとっては、珠算学習の面白み、楽しさが理解され、珠算を
活用した計算が好きになるという現象が出てきた。彼等は、抽象的な数
字で表現された計算を、日ごろ親しんでいる筆算の手法以外のシステム
である珠算の算法で行うことで、計算を行う方法が一つでないことを、
また、数の表現法にも種類があることを合せて学ぶことで、数の計算に
新鮮な喜びを感じてくれるのだと考えている。
尼崎市では、「計算特区」の認定を受け、初年度は杭瀬小学校で実験指
導を開始した。2年目の昨年は、5校において珠算指導を行い、3年目の
18年度は10校に指導を拡大した。
2年生以上の小学生全員が、合計210時間の珠算指導を受けることで、計
算力の大幅な向上が期待されている。過去2年間の実験指導の結果は、
当該特区が目指す成果が期待通りに上がっていることを証明している。
このような教育現場における珠算指導に関する積み重ね効果と、今後
の展開に対する期待の大きさが、マスメディアの積極的な珠算取材につ
ながっているといえる。彼等の論調には、“廷れ、読み書きそろばん”と
いう思いが込められている。
世論、教育界、識者の、珠算復活を期待する願いは大きいと考えたい。
このような状況を踏まえて、このたび、珠算の実態、意義、価値を明
らかにし、現代社会において、日本の伝統的計算文化である珠算がいか
に活用されるべきであるか、合せて、将来、珠算が置かれる立場を考察
する内容の研究論文の作成を、京都大学大学院理学研究科教授上野健爾
先生にお願いした。
このたび、上野先生に、論文『珠算の将来』を書き上げていただいた
のを機に、これを冊子に収録し、多くの珠算関係者並びに数学関係者に
読んでいただくことにした。
本論文では、珠算の本質から説き起こし、珠算の持っ特性、限界点、
課題などについて極めて精細に論述されている。また、珠算界に対する
提言も示されていて、未来の珠算像をテーマに論議を行うときの貴重な
材料として活用してもらいたいと願っている。約500年の間、日本の経
済、文化、教育、産業の発展に、珠算が寄与してきたことを考えるとき、
今後の日本で、珠算がいかなる貢献が出来るのか、議論が沸きあがるこ
とを願ってやまない。
多忙なスケジュールの中、論文作成に時間を割いていただいた上野先
生に、深甚な感謝の意を捧げたい。
珠算は江戸時代以来、長い伝統を持っている。江戸時代にはソロバンは日常生活で必要
となる計算のための必須の道具であった。しかしそれだけでなく、珠算の学習を通して、
数値感覚を身に付ける訓練が行われ、さらには考える為の道具としての役割を担ってい
た。江戸時代のソロバンの入門書は、単にソロバンの珠の動かし方を教えるだけでなく、
数学的に面白い問題を必ず載せていた。これはとりもなおさず、ソロバンを使って計算す
ることによって、種々の問題を自ら考える機会を得ることを意味していた。明治以降の
ソロバン関係の書物が、ソロバンによる計算の技術的な習得を中心にしているのとは大
きく違っている。
明治政府によって初等教育に筆算が導入されて以来、珠算は計算を行う ̄ための機器と
しての側面が強調され、より速く正確に計算する技術が重視されてきた。そのためには訓
練が必要となり、そのことが現在でも珠算教育の中心に据えられているように見える。
これは、江戸時代とは異なる珠算への対応である。
珠算は本来二つの異なる側面を持っている。速く正確に計算する技術と、それを支え
る珠算算法、すなわち、ソロバンを使って計算を行うためのアルゴリズムである。珠算
算法は基本的には初期の段階で確立され、その改良と、どのアルゴリズムを使うのが速
く計算を行うのに適しているかが問題とされてきた。しかし、たとえば暗算の競技会の
ように人間の持つ計算能力を最大限発揮しようとするならば、速く計算を行うためには
どのようなアルゴリズムが相応しいかは、個人差があると考えられるが、その点に関し
ては十分な研究は行われていない。
今日、電卓の普及によって、ソロバンは計算器具としての役割を終えた。訓練をしなく
ても日常生活で必要なスピードで計算ができる電卓を使うことで、多くの人は十分と思
うようになっている。もちろん、そのことによる弊害、とりわけ数値感覚が昔の人のよ
うにはついていないことによる種々の弊害を指摘することができる。しかしながら、現代
の科学技術文明の進歩は、江戸時代と違ってソロバンだけですべての計算に対処するこ
とは不可能であることも重要な事実である。珠算は今、大きな曲がり角に来ている。
しかしながら、ソロバンが単なる計算のための道具でないことは、江戸時代の珠算の
入門書の内容からも容易に推測される。さらに江戸時代の珠算が示すように、珠算は文
化的側面をもっており、このまま滅び去るには余りにもったいないものを含んでいる。3
このようにソロバンは文化的にも意味のある道具、教材であるが、それを単に歴史的な
存在にしてしまうか、それとも今後とも意味のある存在として活用できるかの分かれ道
に、現在突き当たっている。
本稿では江戸時代以降珠算が担ってきた役割を振り返り、今後の珠算の取るべき道に
ついて考察する。
江戸時代のソロバンの入門書は、江戸時代後期の入門書を除けば割り算から始められ、
足し算、引き算に関しては説明されていない。これは、江戸時代初期に既にソロバンが
急速に普及し、ソロバンを使った足し算、引き算は多くの人が自由に行うことができ、
身近な人から教えてもらうことができたからに他ならない。江戸後期の和算書がソロバ
ンの加法減法を解説したのは、理論的に首尾一貫したものにしたいという要求からであ
ったように思われる。「女の子算」は今日的にいえば差別用語であり、足し算、引き算の
みを使って行う計算のことである。女の子でもソロバンの足し算、引き算はできるとい
う差別観がこの言葉には含まれているが、江戸時代の女性の置かれた地位を考えれば、
このことは、とりもなおさず、足し算、引き算は江戸時代には誰もができたことを意味している。
江戸時代のソロバンの入門
書は、こうした特徴に加えて、かならず、継子立て、ねずみ算、杉成り算、油わけ算などの数学的に興味ある問題が記されていた。ソロバンを使った計算練習だけでなく、自分で考えなければならない、時にはクイズ的な問題を入門書が含んでいたことはもっと注目してよい事実である。塵劫記系統の珠算を使った数学の本格的な入門書には数学的に興味のある問題がさらに多数収録されてい
た。塵劫記やそれに基づく入門書にはさらに数値感覚を養うための億や兆の位を持った
数の計算が多数収録されている。このように、江戸時代には単に速く正確に計算するた
めのソロバンの練習だけでなく、数学的にも数値的にも興味ある問題を、ソロバンを使
って解く練習が行われていた。このように、江戸時代のソロバンは単なる計算の道具で
はなく、考えるための道具であった。これは現在につながる重要な観点である。
さらに注目すべきことは珠算の教育は完全に民間で行われていたことである。江戸時
代の武士階級は、珠算は町民がやることで、武士がやることではないという考え方が一
般的で、勘定方の武士を除いては珠算を学ぶことはまれであった。吉田松陰が、商業の
重要性を見通して松下村塾で珠算を学ばせたことは有名であるが、多くの若者はそのこ
とに反発したと伝えられている。もちろん和算家の多くはソロバンを使って計算したが、
一方、算木による計算が方程式を解くために用いられており、和算家といえども珠算は
かならずLも必須のものでなかったことも注意しておきたい。江戸時代の教育は後にで
きた藩校を除けば多くが寺子屋をはじめとして民間が担っていた。「読み・書き・そろば
ん」という言葉に江戸時代のソロバンが教育の中で担っていた役割を物語っている。
さて、明治政府は初等教育において洋算を用いることを早くも明治5年に決定し、最
初は珠算を完全に排除しようとした。しかし、実際には和算家の手を借りなければ、小
学校の数学教育を行うことができないことが現実の問題となり、既に明治6年から珠算は
学校教育にもある程度取り入れられることになった。しかしながら、珠算の教育は小学
校が主体ではなく、民間が中心になって行われた。西洋数学による筆算を主体とする教
育が小学校で行われ、珠算教育が民間で行われることによって、江戸時代とは異なる状
況が生まれることになった。その一番の結果はソロバンが日常生活で必要な計算のため
の器具として確立していったことである。より速く正確に計算を行うこと、そのための
珠算算法が確立していった。しかし、その一方で、珠算界は江戸時代と違って数学に興
味をそれほど持たなくなっていったこ互いに不干渉というという形で数学と計算道具と
してのソロバンとの共存が続いた。小学校・中学校において珠算が得意な生徒が、数学
が必ずしも好きでないという、江戸時代には考えられない現象が普通になった背景には
この奇妙な共存関係を抜きにしては語ることができない。しかも、ソロバンが計算器具
としての地位を失った今、珠算が数学と関係を持って来なかったことが大きな問題点と
して浮かび上がってきている。
一方、明治以降小学校における筆算は数学に於ける計算の手段として確立してきた。
その基本は一桁の数の足し算、引き算と九九であり、この部分を暗算として行うことが
必要になる。小学校における筆算とそれを支える暗算は明治初期にアメリカから輸入さ
れ、教育されて来たがその理論化には必ずしも成功したとは言い難い。また、小学校に
おけるこうした暗算はソロバンに基づく暗算とは違っている点も注意しておく必要があ
る。
塩野直道は昭和10年代に小学校算術の国定教科書の大改革を行ったが、その基本の
一つが暗算の重視であり、その一方で、算術の題材を日常生活のあらゆる所からとって
きていた。かつて「塵劫記」がソロバンを基にして行ったことを、塩野直道は暗算を基礎とする筆算によって復活させたということができる。もちろん、そこには数学と数学
教育の進歩が新たに付け加わって江戸日新七へそのまま戻ったわけではなかったが。
今日の珠算を論じるためには、珠算の数学において占める位置、あるいは占めること
のできる位置について論じておく必要がある。
数学は、数に関する理論、図形に関する理論と函数に関する理論に大きく分けること
ができる。数と図形の理論は社会生活を営むために必要とされ、古代のあらゆる文明で
数学が誕生する基となったものである。一方、函数の考え方は比較的新しく、17世紀
以降のヨーロッパの数学の発展に負っている。今日の科学技術文明では変化する量が大
切な役割を果たしているが、それを取り扱うのを可能にするのが函数の考え方である。
明治政府が小学校教育に珠算をやめて筆算を取り入れたのも、軍事や工業分野では函数
概念を持たなかった和算では対応できず西洋数学を使わなければならなかったことに起
因している。
ところで、珠算は数に関する数学に深く関わっている。特に、珠算算法の多くが初等
整数論とは密接に関係しており、初等整数論の教材として大変興味深いものをもってい
る。しかし、ソロバンは図形とは直接関係せず、また、函数を表現することはできない。
また、文字式を取り扱うことも難しい。古代中国では算木を使って連立1次方程式を解
いていたが、文字の個数だけのソロバンを用意して連立1次方程式を解くことは可能で ̄
ある。また、宋・元代の中国では算木と算盤(さんばん)を使って高次方程式を解いて
いたが、これもソロバンを複数個用意して解くことが可能であり、江戸時代には実際に
行なわれていた。しかし、高次の方程式を導くための文字式の計算には筆算が必要とな
る。文字式や函数を紙上に書き表すことによって計算や推論が可能になる。ソロバンで
文字式や函数を表現できないことが珠算の持つ限界を示している。このことは、珠算を
中心にして今日の数学の初等・中等教育を構成することは不可能であることを意味して
いる。
しかし、ソロバンで計算するために開発された珠算算法に着目すれば以上の議論とは
違った見方も可能になってくる。それは珠算算法は数値計算のアルゴリズムを提供して
おり、アルゴリズムの観点から大変興味深い題材を提供しうるからである。このように、
珠算はコンピューターのプログラミングと関係し、アルゴリズムの学習に大いに役立つ
可能性がある。この点に関しては後述する。
一方、珠算算法は種々工夫されて来たが、数学のみならず、脳科学等を巻き込んだ形
での統一的な理論的解明はなされていない。特に、暗算をいかに速く行うかに関しては、
本来は脳科学とも結びついて、個々人の脳の働きに応じたアルゴリズムを開発する必要があるが、珠算界ではそのような必要性が未だ認識されていない。計算の速さと正確さ
を競うことは、スポーツに類似すると考えることができる。スポーツが人間工学に基づ
いて、コンピューターをも動員して、個々人のフォームを解析して最も合理的な練習法
を探していることに較べれば、珠算の於かれた現状がきわめて原始的であることが分か
る。
まず、ソロバンの持つ長所や利点について考察しよう。
1.ソロバンでは10進位取り記数法に基づく数の表現がなされ、計算が行われる。従って
10進法を学ぶのに適している。ただし、5珠があるので、現在小学校でも用いられている
タイルによる数の表現に較べて一段抽象的になっている。水道方式に基づくタイルによ
る数の表現でも5つのタイルをひとまとめにして考えることが奨励されており、その意
味では数の表現法としてソロバンの珠を使うことは、タイルとは違う数の表現法がある
ことを知らせる上では有効である。
2.ソロバンを使った計算では、計算の途中経過を見ることができる。従って、計算途
中で大きく桁を間違えることがないだけでなく、計算の原理を理解することが比較的容
易である。これは、電卓やコンピューターが計算をブラックボックスとして行うのと違
う一番大きな利点である。
3.ソロバンの学習によって数値感覚が身に付きやすい。これは上の2で指摘したこと
と密接に関係があると思われる。
4.ソロバンは耳から数値を聞き、あるいは目で数値を見て珠を動かすので、筆算とは
違った刺激を脳が受けるようである。この点に関してさらなる研究が必要である。特に、
筆算とソロバンとの違いが脳のレベルでどのような形で存在するかは解明すべき重要な
点である。
5.ソロバンの計算はアルゴリズムに基づいており、アルゴリズム学習の点から興味深
い例をたくさん兄いだすことができる。特に、アルゴリズムを珠の動きとして目に見え
る形で表現していることは、ブラックボックス化したコンピューターでアルゴリズムを
学ぶより、学習上一段と有利である。また、計算を簡単にするための工夫、検算の工夫
等が昔からなされてきたが、それは初等整数論に属する部分が多く、初等・中等教育の
題材としても適しているものが多い。
しかしながら、現在の珠算にはいくつかの欠点も特徴として併せ持つ。
6.分数の計算ができない。(分数計算を行うことは可能であるが、現在は行われていな
い。)
7.連立一次方程式を解くことができない。(複数のソロバンを使って連立一次方程式を
解くことは、中国の算木計算をソロバンに移すことによって可能である。しかし、現在
は行われていない。)
8.文字式や函数を表現することができない。これがソロバンの持つ一番の欠点である。
現代社会では、多くの現象は文字式や函数を使って表現され、計算される。その過程を
ソロバンでは実現できない。こうした計算は、通常は紙上で式を書いて筆算で行う。こ
のことが、小学校で筆算を学ぶことを必要とする一番重要な点である。文字式が必要と
なることが、小学校算数から中学校数学への移行で多くの生徒が蹟く要因にもなってい
る。珠算の愛好者、珠算を得意とする人たちが数学を必ずしも好まない理由でもある。
一方、関数電卓やコンピューターでは文字式や函数を表現でき、計算することも可能で
あるが、計算がブラックボックス化している点では、教育上それほど有利なわけではな
い。
例えば、高次方程式の近似解を求める計算を複数のソロバンを使って行うことはでき
るが、方程式そのものを表現し、式を変形し、あるいは函数を表現してそのグラフを書く
ことはソロバンでは不可能である。江戸時代の和算家は紙を使って方程式を立て、ソロ
バンを使って計算した。現代では、微分積分の計算、微分方程式の計算など代数方程式
の計算以上に複雑な計算が必要とされている。そこで基本となるのは文字式の計算であ
る。小学校で筆算を行う必要性は、実はこの文字式の計算が自由にできるようになるた
めの準備としての側面を持つからである。この部分は珠算では担うことはできない。
9.さらに江戸時代以来の伝統であるが、珠算算法の理論的な取り扱いが不十分である。
なぜ、この算法で正しい答えが出てくるのか、理論的に説明し納得する必要があるが、
そのことは不問にされる場合が多い。このことが、現在の珠算と数学を遠ざける大きな
要因となっている。ソロバンが計算器機としての役割を終えた以上、単に計算の技術と
してだけではなく、珠算算法の意味を考えることが珠算教育の一つの柱となる必要があ
る。
一方、長所と短所とを併せ持つものもある。
10.珠算の長所でありまた短所であるものとして暗算がある。珠算での暗算はソロバン
のイメージを頭に浮かべて計算するといわれているが、この方法では文字式の計算が暗
算でできなくなる。一方、筆算の時に必要とされる暗算は1桁同士の足し算と引き算お
よび九九であるが、実際に計算をするときにはなるべく計算が簡単になるような工夫を
行うことが多い(最も、現在ではそうした工夫を初等・中等教育で教えることのできる
十分な時間が確保されていない)。こうした工夫は珠算算法でも沢山用いられており、珠
算の暗算でも活用されていると思われる。珠算による暗算、珠算によらない暗算を比較し、その類似点と相違点をアルゴリズムの観点から、また脳科学の観点から解明する必
要がある。
ソロバンを使った計算は、計算のアルゴリズムに則って行われている。ソロバンが計
算機としての役割を果たしていたときには効率よく計算を行うアルゴリズムを兄いだす
ことは重要なことであった。それは、おそらく経験によって兄いだされてきた部分が多
いと思われる。しかし、現在必要とされているのは珠算算法のアルゴリズムの理論的な
説明である。すなわち、珠算算法を計算のアルゴリズムの観点から見ることによってア
ルゴリズムを学ぶよい練習になる点である。そこには、アルゴリズムのもととなる数学
の理論があり、それを学ぶ良い教材ともなる。
また、小学校、中学校においては、筆算で計算してもソロバンを使って計算しても何
故同じ答えがでてくるのか、その理論的な説明をすることは、10進位取り記数法に基づ
く計算の原理とそのアルゴリズムを深く学ぶ機会となる。特に、ソロバンでは珠の動き
によってアルゴリズムを目で見ることができる点で、コンピューターでアルゴリズムを
学ぶよりもはるかに有利な点を持っている。
さらに、暗算等で速度を競う競技会でよい成績を取るためには、逆に個々人に適した
計算のアルゴリズムを開発する必要がある。オリンピックに出場する選手がスポーツ医
学と運動学に基づいて個々の選手に適した練習法の開発をとフォームの改造を行ってい
るが、珠算でも同様のことを考える必要がある。そのためには珠算算法のアルゴリズム
に関する知識だけでなく、脳科学に基づく最適なアルゴリズムの開発を考える必要があ
る。
以下アルゴリズムと数学理論の観点から、ソロバンによる主要な計算について論じる。
整数の計算では減法を繰り返すことによって、割り算の余りが計算できることを実際
に行うことと、その理由を理解することはきわめて教育的である。コンピューターの内
部でも同じ原理で割り算が行われていることにも言及すべきであろう。また、補数を使
って減法を加法に替えて計算する方法は教育上もっと重要視すべきである。
筆算での計算は尾乗法で行われ、ソロバンでは頭乗法が現在普通に行われているが、
両者の計算で同じ答えが出ることを理解することは、位取り記数法に基づく計算の原理
を理解する上で恰好の教材である。また、ソロバンでも、筆算と同じ計算ができること、
さらには、実用的ではないが、どの位から計算しても、位取りさえ間違えなければ正しい
計算が筆算でもソロバンでもできることを示すことは教育上大変意味のあることである。また、頭乗法による計算は無限小数(ソロバン上では有限桁までしか置けないが)の計算
に有効であり、無限小数の近似計算はソロバンで積極的に取りあげる必要がある。
除法は古来難しい計算に属していたようで、珠算算法でも一番興味ある題材である。
いろいろな算法が知られているが、その仕組みを理解することは初等整数論の問題とし
て非常に興味ある題材である。また除法算法をアルゴリズムの観点から考察することは
アルゴリズムの役割と理解への素晴らしい教材となる。
二つの数の最大公約数を求めるソロバンのアルゴリズムは、いわゆるユークリッドの
互除法そのものである。ただし割り算を直接行わずに、引き算で余りを求める方法が主
として行われているが、この部分は直接割り算を行って余りを求める方法も行って、ユ
ークリッド互除法そのものであることをはっきりさせる必要がある。
これも、アルゴリズムの観点から大変興味深い題材であり、実際に開平・開立の計算
に熟達するよりも、算法のアルゴリズムを理解する教育を行うべきである。
九去法が有名であるが、珠算における検算は初等整数論の合同式による計算、いわゆる
modを使った計算に基づいている。このことは、ソロバンと初等整数論とを結ぶ重要な
題材であり、珠算界はもっと注目すべきである。
上述したように、初等・中等教育の数学をソロバンだけを使って展開することは不可
能である。また、筆算を学ぶことは中等教育の数学を学ぶためには絶対に必要なプロセス
である。この部分を電卓で置き換えることも、ソロバンで置き換えることもできない。
筆算は、文字式や函数を表示するための準備段階としての意味を持っているからである。
しかしながら、ソロバンは計算過程が目に見えること、また算法がアルゴリズムに基づ
いて行われており、しかもその一つ一つの過程を目で見ることができることで、電卓、
あるいはそれを更に高度化したグラフ電卓やコンピューターでは実現できない有利な点
をもっている。その点を初等・中等教育で生かすべきである。単に、計算機器としての
役割に倭小化した現在の小学校でのソロバンの導入は根本的に見直すべきである。ソロ
バンは筆算で行う計算がどのような意味を持つか反省させる教材であり、それ以上に、
計算のアルゴリズムが何を意味するかを問いかける教材である。したがって、ソロバン
の小学校での導入は筆算に習熟した後で行うことが望ましい。
・また、無限小数の計算を行うことは、現在、初等・中等教育のどの過程でも行われていないことであり、ソロバンで計算を行うことは大変意味のあることである。
我が国は急速に高齢化社会を迎えている。珠算が脳の活性化に有効であるとの報告が
あり、実際にソロバンを学ぶことによって、脳梗塞による身体の麻痺を軽減させた実践
も報告されている。こうした事実の脳科学による裏付けはまだ十分ではないかもしれな
いが、ソロバンを老年になって学ぶことはきわめて意味のあることと思われる。珠算界
はこうした利点を積極的に活用すべきである。そのためには高齢者を対象にした珠算教
育法の開発が不可欠である。たくさんの社会経験を積んだ高齢者には子どもとは違った
効果的なソロバン教材が必要になる。単に孫と一緒にソロバンを学ぶのではなく、脳を
活性化し老化を予防する観点からの珠算教育を真剣に考える必要がある。
以上の考察によって、珠算の現代社会における位置づけがほぼ明らかになったと思わ
れる。すなわち、ソロバンは計算の道具としての役割を終え、今後は考えるための、脳
を活性化するための道具として活用する道を探る必要がある。珠算算法は計算を簡明に
するための種々のアルゴリズムを開発しており、アルゴリズムを学ぶための教材として
は大変興味深いものである。また、アルゴリズムを実行していく過程が目に見える点も
重要である。一方、ソロバンの珠は5・2進法に基づいており、10進法を学ぶ上できわ
めて役に立つ。ただ、現在のソロバンの珠の動かし方は、特にかけ算では小学校で学ぶ
筆算の算法とは異なる部分がある。この両者の違いは、計算のアルゴリズムの違いであ
り、10進法の基づく計算法としてはどちらも同じ結果を導くことを示すことは数学的に
は簡単である。しかし、小学校での教育を考えるとこうした違いを生徒に納得させるこ
とは(現在の先生のレベルを考えると先生を納得させることも)難しい。恐らくこした
ことが現在小学校での珠算が加法、減法に主として限定されている理由でもあろう。し
かし、珠算を教育に取り入れるとすれば、むしろこうした算法の違いが同じ答えに到達
することの理解を促すことの方がはるかに重要であり、教育的に意味があると考えられ
る。従って、珠算を初等・中等教育に取り入れるにあたっては、珠算のどの側面を強調
するかによってその教育効果が全く違ってくる。
ソロバンを使って10進位取り記数法を理解するための教具と考えるならば、小学校1
年生からの導入も意味がある。しかし、珠算算法の持つ意味を数学的に理解し、さらに
アルゴリズムを学ぶための教材として活用するのであれば、珠算は小学校3年生以上から
導入し、中学校まで継続して教材として取りあげる方がより効果がある。
1.珠算の効用を考えると、珠算を学ぶことは脳を活性化し老化を予防するためにも、
高齢者にとって大変意味があることと思われる。社会経験を十二分に積んだ高齢者への
珠算の導入は子どもとは違う必要がある。そのために、高齢者が興味を持つような珠算
の教材を開発する必要がある。
2.1と関連して、これまでの珠算教育は速く正確に計算できることが重要視されてき
たが、発想の転換を図る必要がある。速く正確にだけではなく、計算を楽しむ、計算結
果をもとに種々考えることの面白さを強調する教材を開発すべきである。これは江戸時
代の珠算教育の伝統を復活させることを意味する。
3.ソロバンを積極的に使うことを前提にした小学校算数と中学校数学の非検定教科書
を早急に作るべきである。そのことによって、珠算の持つ拡がりと限界とを明確にする
ことができる。また、そのことによって、従来の珠算教育に欠けていたものが明確にさ
れるであろう。
4.種々の珠算算法はアルゴリズムの点から、また初等整数論の観点からも大変興味深
いものである。こうした算法の理論的な貌学的な説明を行いながら、珠算教育を担うこ
とのできる人材を早急に育成すべきである。さらに、珠算教育を担う人たちは、最低限
中学数学までの内容に関して関心を持ち、中学数学との関連をつねに考えながら珠算教
育を行うことができるようにする必要がある。
5.明治以降の珠算の速く正確にという教育法は珠算による計算のスピードを競う大会
へと繋がっていったが、珠算の持つこうした側面は一般的でなくなったかもしれないが、
今後とも維持すべきことと考えられる。これはスポーツで種々の競技会があることと比
して考えることができる。スポーツ界では従来の伝統的な練習法だけでなく、選手個々
人のフォーム等を調べ科学的に分析して、個々の選手に最も適したフォームへの改造や
練習法を兄いだしている。珠算算法は計算のアルゴリズムに基づいているが、そのアル
ゴリズムを脳がどのように捉えて計算を行うかは、個々人で違いがある可能性が大きい。
そうしたことを考慮すれば、さらに脳科学の研究家と共同で、競技に優れた人材の発掘
と、個々の人材に合った算法の開発と練習法の開発を行うことのできる人材の養成が必
要である。
6.上記の5と関連して珠算における暗算の理論的な解明を行う必要がある。また、数
値計算の暗算だけでなく、文字式の計算や、連立1次方程式を解くことを暗算で行うこと
を珠算教育に取り入れる必要がある。このことによって、珠算と中学校以降の数学との
共存がさらに容易になるであろう。

足し算、引き算は江戸時代には誰もができたことを意味している。